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歴史館

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美し さん   
美し さん   
わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)を訪ねての続き

足尾市内でとても個性的なアーチ橋を見つけました
そばを走るわたらせ渓谷鉄道の鉄橋は昔の国鉄足尾線時代から有名な場所のようで、この鉄橋を渡って走る蒸気機関車の白黒の写真は現在に伝えています
国道のコンクリート橋のアーチ橋は歩行者は散策できますが、車は脇にできた新しい橋を通ります
橋の脇に在る5軒ほどの民家はすべて空き家かと思いましたが、1軒だけは住んでいられます







2024-11-06 10:24   (No.000000124)  
美し さん   
わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)を訪ねての続き

神戸駅の次は沢入駅です
【そうり】と読みます
神戸(ごうど)駅から坂を上ると草木(くさき)ダムがあります
このダム建設のため旧国鉄足尾線は一部が水没し、新線を通ることになります
新しいトンネルを抜けるとすぐに鉄橋を渡ります
この辺りはまるで鉄道模型のレイアウトのようです

途中の風景は大きく変わりましたが、神戸駅も沢入駅も110年前の足尾線開通時のまま残されています
2024-11-05 12:52   (No.000000123)  
美し さん   
わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)を訪ねての続き

1、わたらせ渓谷鉄道のいちばん人気のある駅
神戸駅、『こうべ』ではなく【ごうど】と読みます
この日も平日にも関わらず、窓のないトロッコ客車にたくさんの観光客を乗せたディーゼル機関車牽引の臨時が走っていました
2、紅葉には早かったので、数年前春の写真を載せました
桃と桜の花で全国的にも有名です
3、駅にあったレンガ建ての倉庫
昔は機関車の前照灯も客車の照明もランプであったため、灯油が保管されていた倉庫
旧北陸本線の魚津駅などにも同様な建造物があり、国の歴史重要建造物に指定されていたりします
2024-11-04 17:19   (No.000000122)  
美し さん   
順に
足尾駅の脇に在る旧国鉄住宅
 半世紀も前、転校してきたかわいい女の子が、こんな家に住んでいた
 彼女の父は、田舎の駅長さんだった
分市営住宅
 長いのが3棟あるけど、住人は一軒だけ
炭鉱ならぬ鉱山住宅
 つい最近まで住んでいたようにしっかりとしている
2024-11-03 10:58   (No.000000121)  
美し さん   
久しぶりに日光と足尾に行ってきました
紅葉にはまだ早く、日光も足尾も標高はそんなに高くないのかもしれません
3枚目の写真は足尾駅に展示していた昔の写真です
2024-11-02 12:47   (No.000000120)  
美し さん   
2枚目、3枚目は季節を示すだけで、我ながら平凡な写真だと思う
1枚目のコスモスはまあまあといったところ
ところでコスモスって秋桜と充てるんだそうですね
知らなかった
2024-10-25 14:07   (No.000000119)  
美し さん   
ごろにゃんさん
久々の廃墟の写真ありがとう
どれもすばらしいですね

廃墟の中から外の緑を見通す写真は、廃墟写真の醍醐味ですね
今回はどの写真も美しい



2024-10-07 22:40   (No.000000118)  
ごろにゃん さん   
夢中になると
時間を忘れてしまいます。
2024-09-24 21:53   (No.000000117)  
ごろにゃん さん   
なかなか
良い雰囲気です。
2024-09-24 21:50   (No.000000116)  
ごろにゃん さん   
美さん、お久しぶりです。
とりあえず元気ですが、暑さでダルダルです。
少し前、再び新潟の二居変電所に行ってきました。
前回は外回りしか撮影しませんでしたが
今回は内部に侵入してきました。
2024-09-24 21:47   (No.000000115)  
美 さん   
ごろにゃんさ-ん、元気ですか
浅草付近で
見つけた光景です
2024-09-17 12:15   (No.000000114)  
美 さん   
利根川を渡ったらもう筑波山のイメージだ
登ったことは2回ほどあるけれども、いつも眺めるのは2、30キロ離れたところから見る筑波山だ
明野のひまわり畑はバンドのショウも出ていて大変な盛り上がりだ

ただヒマワリは八重の園芸品種で、小学校のころ、種を食べた大きいのとは迫力に欠ける
2024-08-27 11:21   (No.000000113)  
美 さん   
ごろにゃんさん、こんにちは!
新潟の蒲原鉄道の在りし日の姿です

車両は例の場所の他、2か所くらいしっかりと保存されている場所があるようだ
例の安田保存会を作った人は亡くなられたみたい
息子の方が管理されているようだが、保存継続の意思はないらしい
車両もボロボロだ

あのあたり蒸気機関車と白鳥の湖とロシア村の廃墟と訪ねるのに書かない場所だ
2024-07-19 12:19   (No.000000112)  
おむネコ さん   
戦争は嫌いですが、戦争で使う兵器には何故か惹かれます。
やはり命を掛けた戦いに勝利すべく造られた究極の物だからでしょうか?
小学生の頃から憧れた旧日本軍の傑作戦闘機 ゼロ戦 
そして、ゼロ戦の二倍近い機体と馬力を誇った紫電改
当時日本軍では珍しかった液冷式エンジン(ドイツのOEM)搭載の飛燕
2024-07-04 14:36   (No.000000111)  
美 さん   
本当は愛品館なのですが苺さんの可憐な花の投稿がありますので、こちらに投稿します
今からちょうど十年前の九州の港町の風景です

この街の風情、いいね
2024-07-02 15:06   (No.000000110)  
美 さん   
るりの国道4号線側(西側)の入り口ののれんがすばらしくなりました

遠くから来店の方々にわかりやすくなりましたね
2024-06-25 14:51   (No.000000109)  
美 さん   
ごろにゃんさん

只見線の早戸駅の写真、しかも夜景ありがとう
すばらしい場所ですね

こちらは昔の足尾線、わたらせ渓谷鉄道の最近です
2024-06-22 01:27   (No.000000108)  
ごろにゃん さん   
夜の無人駅。
哀愁があって好きです。
2024-06-18 18:42   (No.000000107)  
ごろにゃん さん   
美さん、アジサイきれいな青ですね。

以前、美さんに紹介された
只見線の早戸駅に行ってきました。
霧にかすむ景色を観たかったのですが
そうは都合よくいきませんね。
また行って、霧の中の渡し船を
撮ってみたいです。
2024-06-18 18:39   (No.000000106)  
美 さん   
幸手市内でみつけた家
信号停車中だったので詳しく撮れなかったのですが、何か風情があります
2024-06-17 13:33   (No.000000105)  
美 さん   
権現堂公園のアジサイの詳細です

昭和5年に今の江戸川が改修されるまでは、江戸川や利根川は大水のたびに流れを変え今日『古利根川』と称される河川は数えられないほどあります。
権現堤もその一つで、大正時代に水に溺れた人を旧制中学の学生が救助してその学生は犠牲になったとのこと

その顕彰碑が堤の上にあって、何十年も前に碑文を読んで感動したことがあります

他には権現堤にはたくさんの碑があります
2024-06-14 17:49   (No.000000104)  
美 さん   
幸手の権現堂公園の紫陽花が咲きました
枯れた花が一本もない状況で最高の雰囲気です
紫陽花は何といっても雰囲気がありますね
2024-06-13 13:23   (No.000000103)  
美 さん   
ごろにゃんさん
久しぶりの投稿ですね
心から歓迎します

廃墟の撮影は被災地の災害家屋の撮影地は違います
廃墟はかつてそこで人の営みが行われていたころを懐かしんで振り返って記録するもので、そこには同じ人間としての暖かな気持ちがあります

最近、50年以上前に人が離れた里を求めるYouTubeに凝っています
2024-06-09 21:15   (No.000000102)  
ごろにゃん さん   
想像通りの素晴らしい所で、
時間を忘れて撮影してました。
近くに廃橋もありました。
2024-06-02 16:40   (No.000000101)  
ごろにゃん さん   
みなさん、お久しぶりです。
5月31日に新潟の【 東赤谷連続洞門 】へ行ってきました。
現地へ行く道路が冬季閉鎖なのは知っていましたが
「もう大丈夫だんべ」と、ろくに調べずに出発。
そしたら現地到着の一時間くらい前に解除になったんだって!
あぶねー、あぶねー。
2024-06-02 16:34   (No.000000100)  
紫の上 さん   
これは解説は要りませんね
2024-05-05 11:06   (No.000000099)  
るる さん   
我が家の近くのお宅です
かなり高い木が鬱蒼(うっそう)と生えていて
トトロの森のような雰囲気の場所があります
毎日、横を通っては顔を上げて見上げています
ちょっと別世界に迷い込んだ感じで神秘的
2024-04-25 19:08   (No.000000098)  
紫の上 さん   
桜だ
やはりすばらしい
2024-04-24 13:41   (No.000000097)  
紫の上 さん   
写真がtif形式だったため投稿を受け付けなかったようでした
そこで写真を一般的なjpgに変換したところ以下のとおり
   
近頃AIの発達によって面白いことができるようになりました
昔の白黒写真がカラー化できるのです
NHKなどでは既に実行済みで、1923年の関東大震災の記録映画をカラーで見られたり、太平洋戦争の空中戦のシーンもカラー化されてリアリティが上がっていました

私も戦前昭和10年ころの叔母の女学校時代の写真をカラー化してみたところ、数人の友人とともにリアルな映像に驚かされました

赤や緑などはカラーできるにしても、中間色や混色はどうやって判別するのかな
制服はブルーで、かと言って軍服は茶色
どうやってAIは判断するのかなぁ
2024-04-17 20:07   (No.000000096)  
紫の上 さん   
先回の投稿、3枚目の花は『カキドオシ』と言うのだそうで
アマゾンで売れている人気の花のようです
公園の中では植えている雰囲気ではなく、雑草のように一面敷き詰められていました
2024-04-16 18:40   (No.000000092)  
紫の上 さん   
公園のベンチで時刻表を枕に4時間昼寝をしました
仰向けで空を見上げた時の写真が1枚目。

フキノトウが目を出すと続いてこぶし、木蓮、梅の順に花をつけ、続いて桜が咲くというのが日本の
春ですが、今年は木蓮が桜と一緒に咲きました
北海道に住んだことがありますが、北海道では5月の連休前は何も姿を現しません
5月の連休、人里が1時間離れた峠では吹雪で道路の端には雪が積もっています
しかし連休が明けると、上記のこぶし、木蓮、梅、桜が一斉に咲いたのを覚えています

三枚目は公園に咲き揃っていた雑草です
美しいものです
名前は投稿後にわかるはずです
2024-04-16 15:52   (No.000000091)  
紫の上 さん   
るるさん 本当だ
今度、気をつけて見てみます 
この投稿ページでは縦写真の方が大きな画面になりますね

満開とはこのこと
古利根川の春日部女子高の付近の公園は、昨日が満開でした
木と言い枝と言い、桜と言いすべてが圧倒的なスケール感がありました
2024-04-11 14:56   (No.000000090)  
るる さん   
紫の上へ
いつも投稿をありがとうございます

昨日、紹介した≪桜≫
我が家の後ろの光景です
2024-04-10 19:29   (No.000000089)  
紫の上 さん   
姫島駅(東武鉄道)の近くで桜の下を走る新スペーシアに会いました

白い桜の満開の様子は、女性の歓びの瞬間に通じる美しさがあります
2024-04-09 21:51   (No.000000088)  
紫の上 さん   
もう桜、さくらです
2024-04-09 00:36   (No.000000087)  
紫の上 さん   
幸手周辺の桜はあと三日とうところ
幸手で有名な権現堤公園の桜はこんな感じで、あえて表現すれば5分咲き
でも花桃の満開は桜に比べて数日早いのが通例で、こんな感じ
東北線に沿う幸手の桜堤の桜も、権現堤公園の桜と歩調を合わせています
2024-04-05 23:00   (No.000000086)  
紫の上 さん   
桜は満開です
大河のスーパー堤防の脇に咲いた桜並木、二十年ほど前に植えられました
東武が『桜の○○』と名付けましたが、今では立派な住宅地になりました
2024-04-04 22:30   (No.000000085)  
紫の上 さん   
黄砂が激しく晴れていても青空が見えません
桜の開花状況の偵察に出ました。姫宮駅近くの川の堤防ではお花畑が見事に開花
すばらしい犬に出会いました
『シベリアンハスキー』と言うのだそうで、シベリア生まれのハスキーな犬でした
壮観なのに感動
2024-04-02 22:32   (No.000000084)  
紫の上 さん   
ついに桜が咲いた。
北緯の井戸は幸手市とほぼ同じくらい。東京より3度ほど気温が低い地域でのこと。
2024-03-29 17:49   (No.000000083)  
おむまつ さん   
おはようございます。  古い話で恐縮なのですが。
父親が在命中、新宿にある、厚生省主幹の平和祈念展示資料館に、戦争出征時の寄書きを、寄贈する日に取った写真です。 父親は、旧陸軍航空隊の無線通信隊に配置されて、内地の大阪八尾、陸前高田が任地だったそうです。 父親が亡くなり、資料館に連絡を取り、寄贈品を見せて頂きました。寄書きの他に、航空帽、手紙などが有りました。手紙は個人的な物ばかりで、展示的資料価値は無いとの事でした。資料館では、定期的に企画展示を行い、父の寄書きも何回かは展示して、今は倉庫保管でした。
2024-03-22 10:34   (No.000000082)  
るる さん   
紫の上さん
いつも書き込みをありがとう。
リンク先は貼れないような設定になってます。
2024-03-18 18:01   (No.000000081)  
紫の上 さん   
テスト

リンク先を入力してみる

○○URLの書き込みはできません
の文字が出て、前のページに戻るよう促すボタンが出る
2024-03-18 17:00   (No.000000080)  
るる さん   
テスト
2024-03-13 16:22   (No.000000079)  
紫の上 さん   
かなり以前に会津の芦ノ牧温泉で水辺の崖の途中に素敵な丸窓の付いた旅館の廃墟の写真をご覧いただきました。
たしかふだんの景色と真冬の雪景色と2回それそぞれ投稿したように記憶しています。

最近このホテルについて所有者の了解で内部を探索したYouTubeが見つかりました。URLはこのページからはリンクしないようなので、ママの日記に記載いしてもらうよう依頼しました。

2024-03-13 15:50   (No.000000078)  
紫の上 さん   
おむネコさん、勝鬨橋懐かしいですね。と言っても現存してますから、ありがたいひとです。
中学生のころ、自動車ショーを見に晴海に行った時、しみじみと見学しました。当時は、この橋の上を都電が走っていました。
私が育ったころは、小学校の社会の教科書の見開きにカラーでこの写真が載っていました。教科書にカラー写真は一枚しかなかったころですね。

その後、いつでも動かせるよう手入れはされていたようですが、確か美濃部都政のころか動かすことを遂に放棄したと記憶します。
最近、といってもかなり以前のことですが、石原都知事が観光用に動かすことを発案しましたが、手入れ更新には数億円かかるということで諦めたようです。

でも、東京駅が復元したように将来再び動かす時が来るような気がします。

写真は10年ほど前、越谷駅の周辺の飲食店街で撮った写真。現在は存在しません。
都市計画で駅周辺はきれいになってしまいました。
2024-03-10 15:48   (No.000000077)  
おむネコ さん   
勝鬨橋(かちどきばし) その2
こちらは常に橋梁が閉じた状態で船の通過時のみ橋梁が上がる(稼働する)
タイプとなっていて、先に紹介してる末広橋梁とは逆の設定になってます。
一見普通の橋に見えますが、運河側の船から見える信号機が橋梁に付いてたり
車道側の橋の入り口には踏切に使われる遮断機が付いてたりします。
こちらは臨港橋の名称があり、大型トラックやトレーラーも利用出来る大型の
可動式橋梁ですが、最近はこの橋が勝鬨を揚げている(橋梁が可動してる)のを
見た事がありません! 最近は運河を通過する船舶も少なくなった様です。
先に紹介した末広橋梁から200m位の同じ運河の所にあります。
2024-03-10 10:25   (No.000000076)  
おむネコ さん   
勝鬨橋(かちどきばし)ってご存じでしょうか?d(=^・^=)
運河とかに掛かる橋とかで、船が通過する時に橋梁が持ち上がり大きな船が
通過出来る様になってる可動橋の事ですね! 最近はこの可動橋が残ってる
場所が少なくなり現在も使われているのはここ四日市港に残る2つの可動橋
のみとなってしまいました。こちらの末広橋梁は普段は天に向かって常に勝鬨を
上げていて貨物列車が通過する時のみ普通の鉄橋になります。
この末広橋梁は昭和の初め頃(昭和4年~11年)に造られて近代化産業遺産
に登録されています。
2024-03-09 14:21   (No.000000075)  
紫の上 さん   
これがヘンリー塚本の昭和の世界。
風景と建物、情景だけでも興奮します。
2024-02-26 11:18   (No.000000074)  
おむまつ さん   
こんにちは。 久しぶりに、書評を読んでから新刊を買いました。 (ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内  川森博司著  淡交社 )  日本昔ばなしを集めた解説本ですね。民俗学者の柳田国男の、遠野物語を彷彿させます。  鶴の恩返し、狐の嫁入り、雪女、鬼婆、ふた口女、など全国から70あまりの物語りが載ってます。
2024-02-24 17:25   (No.000000073)  
おむまつ さん   
おはようございます。 東京中野駅から、ア―ケ―ドの商店街が真っ直ぐに通り、ヲタクの聖地、第二のアキバと言われ、テレビでも紹介される、中野ブロードウェイがあります。自分は、20年以上通ってますが、コロナ禍後、久しぶりに行って来ました。
ブランクが2年間くらい有りましたが、基本ベースは変わっていませんでしたが、アイドルグッズ屋、アダルトショップ、中古DVD屋、いわゆるヲタク屋、などの店舗が無くなってましたね。建物入口の、
不二家のペコちゃん、銀河鉄道のメ―テルは、いつも変わらず、出迎えてくれました。
2024-02-24 10:02   (No.000000072)  
紫の上 さん   
ヘンリー塚本という映画監督がいます。監督した映画は50万本を超えるとのことで尊敬に値します。
昭和は昭和。典型的な戦前、戦後の建物、室内でストーリーも出色の出来。
犯したり犯されたり、不義の関係だったりでストーリーは万別。
今日の映画のストーリーはすべてここにあるようなものです。

当時は女性はスリップを着ていましたから、スリップ姿での○交はとても興奮しますよ。
今日のように最初から裸では、男性は興奮しません。
2024-02-17 21:14   (No.000000071)  
紫の上 さん   
昔の写真です。
50年以上前の写真ですから著作権うんぬんは消滅していると思われます。るりにあったのを複写撮影しました。
生理帯を刺激の材料にした写真のようで、生理帯のゴム帯の部分を実際とは逆に裏返して撮っているのがおもしろいと思います。
やっぱりエロ写真というものは殿方の性を刺激すべく演出するのですね。
2024-02-02 13:56   (No.000000069)  
おむネコ さん   
昭和50年代後半になると紙オムツの使用が多くなり布おむつの使用は段々と少なくなって来ました
昭和の時代が終わり平成になる頃には股おむつカバーも使用のピークを過ぎていましたが、まだまだ
ニシキやナカタとかのおむつカバーメーカーからも細々と販売されてました。
この頃 異色?のおむつカバーメーカー ベビーネンネから販売されてた成型オムツ(スペアー)と
専用の蒸れ防止用オムツネット&おむつカバーを使う商品が発売されてました。でもセットで揃えると数万円もするおむつセットでしたので、余り普及しなかった様です。 同様のおむつカバーが介護用として大人用でも販売された様ですが価格設定が高くて売れなかった様です。この後でベビーネンネは会社が倒産してしまいました。
【あとがき】
これで、戦後からのおしめカバーの説明はおしまいですが、紹介出来てない部分がまだまだあるので
機会があればご紹介したいと思っています 
あのアメリカ製のパン〇ースーとかが、引き金となって、今や絶滅危惧種?となった布おむつと
それに付随するおむつカバー達 今やエスビージーズとかが叫ばれていますが、布おむつも、今より
もう少しは復活してくれなかと思っています。 
2024-01-31 13:32   (No.000000068)  
おむネコ さん   
同じく昭和50年代全般から後半にかけては様々なおむつカバーが各メーカーから販売されてました。

股おむつカバーの進化系?で今でも一部のメーカーから販売されているサイドマジック式のおむつカバーが独特の形で?前羽根が横に大きく伸びて腰ベルトみたいに巻き付ける方式のおむつカバーです。
ピンク色のかんぴちゃんがサイドマジック式で青いフチゴムのは股おむつカバーです。腰ベルトの形状が違いますねd(=^・^=)

2024-01-29 13:36   (No.000000067)  
おむネコ さん   
昭和50年代の後半頃になると、現在も販売されている股おむつカバーでマジックテープ式が発売されますが、当初はおむつカバーの前当ての上に外羽根を留める方式のモノもありました。
こちらも股部分からの漏れが心配だったのかリング式ホックが付いてるのがあります。
でも、おむつ替え時におむつカバーを留めやすい反面 腰回りの安定感が無くて、余り普及しませんでした。
おむネコも大人用で一部愛用してますが、歩くとずり落ちやすくて好きな形態ではありませんでした。
(●私事で恐縮ですがマジックテープ式のは、おむつカバーと勝手に分類して呼んでます。)
2024-01-28 10:57   (No.000000066)  
おむネコ さん   
そして昭和50年初め頃にはスナップボタン式おしめカバーの金属ホックにも変化が出て来ました。

●(余談ですが、この頃おむネコは社会人として就職していて、休日になると干してあるおしめやおしめカバーを求めて、観察するのを楽しみにしてました)

天塗りホックと呼ばれる白い塗りの金属ボタンから、丸いリング式へとボタンが変化したのです。
一説によると天塗りホックは製造メーカーが廃業して作るのをやめて、付けやすいリング式へと
変わって行った様です。 この頃は在庫の天塗りホックを使ったおしめカバーや新しくなった
リング式とかのおしめカバーが混在してた時代だと思います。
勿論 前出のケミスポンジタイプにも天塗りホックとリング式が混在しています。
また、ビニールのおしめカバーにも同様のモノが売られていた時代でした。 

やはり実際に使い込まれたおしめカバーには味がありますね! 自称ヘンタイネコf(=^・^=)
2024-01-27 10:30   (No.000000065)  
おむネコ さん   
こんにちは 紫の上さん
コメントありがとうございます。おっしゃる通り生理帯とおしめカバーは同じメーカー(ビクトリヤ)
とかで製造販売されてましたねd(^^)昭和の初め頃ですが・・・
実際に使用されてたのは汚れが目立ちますが、生活感とか使用感があって良いですね~d(=^・^=;)

さて、本題のおしめカバーの歴史ですが、 次に登場したのはケミカルスポンジを本体に使用した通称
ケミスポン(商品名)です。
軽くて表皮に可愛い柄が印刷出来て、今までの様に二重縫いとか三重縫いの必要が無い?防水性に優れた素材のおしめカバーでした。外観からは如何にも科学してる?おしめカバーですが耐久性が弱くて陰干しで使ってもスポンジ部が硬くなって劣化が出てきます。二重股の部分にひび割れが出てるのもありますね! 今回は紫の上さんの画像に刺激されて、実際に赤ちゃんに使用(酷使?)されて股グリのギャザー部が変色したのも撮影して見ました。
2024-01-27 10:07   (No.000000064)  
紫の上 さん   
おむネコさん、豊富な写真と解説ありがとうございます。
知るにつけ生理帯の歴史によく似ていますね。
時代的に同じ材質や知恵が共通しているようですね。

写真はメッシュが流行ったころの生理帯です。
2024-01-26 21:26   (No.000000063)  
おむネコ さん   
ホック式(スナップボタン式)おしめカバー全盛期?の昭和30年代~40年代は色々な表皮やデザインのモノが出回ってました。ポリエステルや化繊? 汚れが付きにくく、早く乾いて洗濯が楽なものが多くなった気がします。また寒い時用に表皮がキルト生地で作られた物も登場して来ましたね!

一番の変化は裏面ビニールとかの防水生地表面に細かいメッシュ生地が貼り付けられた事です。
これで、少しはお尻の蒸れ緩和してオムツカブレを防止するのが、目的だったのでしょうか? この時期から裏面ビニールのおしめカバーにはメッシュ張りが普通になりました。
2024-01-26 10:43   (No.000000062)  
おむネコ さん   
それから暫くして、この後の時期になると、関東方面?(主に東京)で独自の進化を遂げたおしめカバーがあります。(勝手に関東式おしめカバーと読んでます) 私の住む関西方面では見かけ無かった方式のおしめカバーですね!
外羽根を前当てに付けられたマジックテープに留める外羽根式おしめカバーです。でも股からの漏れが心配だったのかこの頃のは股の部分に金属ホックが付けられています。
さらにはおしめカバーの二重股がさらに広くなって、まるで、海に住むセミエビ?みたいな全体の形状になってるのもありました、d(=^・^=) でもこうして見ると、色々なおしめカバーがあって、『たかがオシメカバー・・・されど、おしめカバー』と探求心(妄想とも言う)が湧いて来ますね!
2024-01-25 18:52   (No.000000061)  
おむネコ さん   
昭和30年~40年代頃は様々な改良を加えられて当時のおしめカバーの定番となったカタチに進化して来ました。画像は当時の大手メーカー ニシキの製品が中心です。
洗濯時に水が内部に残らない様に内羽根の裏側には水抜き穴が開けられていますね! また一部には二重股の代わりに防水ビニールが別に貼り付けられた珍品?おしめカバーもあります。

この頃のニシキは日本で一番?のおしめカバーメーカーでしたが、色々な改良もしていた様です。
手元にはありませんが、プラ(ジュラコンスナップ)のホック式おしめカバーは塩害による金属ホックの腐食を防止する為の対応だったと聞いてますが、現在はプラのホックも大人用おむつカバーとして一部で使われてる様ですが、私の主観では装飾&量産性?が高いと思ってます。

この頃は可愛い動物柄表皮で裏面ビニールのおしめカバーが沢山販売されてましたね~ d(=^・^=)
私の記憶に残る一番好きな おしめカバーの時代です。 『当時のニシキ最高です!』
2024-01-25 14:54   (No.000000060)  
おむネコ さん   
紫の上さん コメントありがとうございます。現在も細々と収集をしております。

さて今回はビニールが発明されて登場したビニルおしめカバーです。おしめカバーの歴史の中でもベビーブーム時代のモノが多くておしめカバー黄金期と言えるでしょうかね?

ビニールのおしめカバー最初の頃は腰に回すおしめカバーの内羽根が無いタイプがありましたが、途中から内羽根のあるタイプが登場して来ました。 でも初期の頃のは股部分からの漏れを防ぐギャザー部は無くて厚いフチゴムとかで漏れを防止してましたが、ウンチがゆるいと漏れやすかった様です。

その後に漏れを防ぐために登場したのが二重股になってギャザー部が追加されたおしめカバーです。

2024-01-25 14:22   (No.000000059)  
紫の上 さん   
おむネコさん、たくさんの記事と写真ありがとう。
これだけのおしめカバー歴史的な物をよく収集されましたね。すごい!

先日、真岡鉄道へ蒸気機関車を撮りに行った時の続きの写真です。
真岡鉄道には、D51と9600などの蒸気機関車が下半身油漬けで磨き上げられ、今にも走りだせそう。しかし真岡鉄道(旧国鉄真岡線)は線路の規格が低いため、大型の蒸気機関車は走れません。
関東の私鉄としては秩父鉄道とともに古くから蒸気機関車を走らせてきた名門ですが、東武鉄道が下今市駅と鬼怒川公園駅間で蒸気機関車を走らせようと企画した時、運転手養成を引き受けたりして全面的な支援を惜しみませんでした。最後はC11蒸気機関車を東武に売却してしまいました。
現在真岡鉄道に残るのはC12のみ。東京周辺からのお客もほとんど東武鉄道に奪われてしまいました。

それでもほぼ一年中、土日には真岡鉄道に蒸気機関車が客車を牽いて走っているというのはとてもありがたいものです。
2024-01-21 16:07   (No.000000058)  
おむネコ さん   
今まで紹介して来たゴム引きのオシメカバーですが、60年以上を経た現在でも
使用出来そうな物が多いですね!この当時は内羽根が無くて背当ての部分には
布おしめがズレない様にオシメに結ぶヒモが付いてました。

今まで取集して来たゴム引きのオシメカバーですが、洋品店の不良在庫?として
残っていたのは特大サイズ(24~36か月)の物が大半です。
多分この特大サイズを使う前におしめが外れていたのでしょうね? 

最後に驚かされるのが、オシメカバーの色合いですね! 青や赤の原色で
男の子は青 女の子は赤?だったのでしょうか・・・
勿論 柄物もありますが、フラフープしてるペンギンとかで時代が判る気が
しますねd(=^・^=)

● 次回はビニールが発明されて登場したビニルおしめカバーの予定です。
誰も期待してないでしょうけど・・・
2024-01-18 15:01   (No.000000057)  
おむネコ さん   
紫の上 さん ありがとうございますm(__)m
画像や文章が重複してて本当に拙い内容ですが何故か幼い頃より好きだったオシメカバーに魅かれて
コレクター(自称ですが)として興味を持って収集して来ましたので、ここで紹介を
させてもらってます。(興味の無い方には迷惑かも知れませんがその時はスルーして下さいね~)
●続編ですが、ゴム引きのオシメカバーは内羽根の無い形状の物が大半で、初期は漏れないのが
前提で通気性とか赤ちゃんのおしめの快適性とかには程遠い物でした。
でも二重股になっていないのが大半でフチゴムの柔らかさ(弾力性)で股の部分からの漏れを防いで
ましたが、オシッコの量が多くなり活発に動く様になる1~2才児では漏れてしまうので、この後
からは二重股になって来ました。
またヒンヤリして、お尻に張り付くゴムは途中から毛ゴムと呼ばれる 暖かい 肌触りの良い物へと
代わって来ました。
またこの当時はオシメカバーの前当てと横当てのスナップボタンのオスとメスの関係がメーカーに
よっては逆になっていて、当時を想像(妄想?)して興味深く探求?しております。
2024-01-15 15:45   (No.000000056)  
紫の上 さん   
オムネコさんへ。
おしめカバーの歴史、すばらしいですね。
生理帯の歴史を取り扱っているホームページがありますが、一回こっきりの投稿では惜しいと思います。まとめて記事にする場が必要ですね。

るるさんへ。
こういったオムネコさんのような学術的、歴史的な価値のある考察は、一回こっきりの投稿ではなく半永久的な記事になるようなページが必要ですね。


元気をもらいに真岡鉄道の蒸気機関車に会いに行ってきました。
2024-01-15 03:06   (No.000000055)  
おむネコ さん   
終戦後の昭和20年代始め頃になるとベビーブームが到来して、育児用品が販売されて、それまでは
生活に余裕の無かった庶民にも布おしめ専用の布地や、漏れにくいオシメカバーを買う事が出来る様に
なりました。 まだビニールが発明されて無かったこの時代には裏面がオシッコが漏れない様にと
防水ゴム引きのオシメカバーが主流でした。

また、この頃からホックボタン式(オープンタイプ)のオシメカバーが登場して来ました。
2024-01-14 23:13   (No.000000054)  
おむネコ さん   
終戦後の昭和20年代始め頃になるとベビーブームが到来して、育児用品が販売されて、それまでは
生活に余裕の無かった庶民にも布おしめ専用の布地や、漏れにくいオシメカバーを買う事が出来る様に
なりました。 まだビニールが発明されて無かったこの時代には裏面がオシッコが漏れない様にと
防水ゴム引きのオシメカバーが主流でした。

また、この頃からホックボタン式(オープンタイプ)のオシメカバーが登場して来ました。
2024-01-14 23:01   (No.000000053)  
おむネコ さん   
すみません 画像が抜け落ちてますが、JPGファイルで無いと画像貼れない用ですねf(=^・^:=)
昔のおしめカバーに関する資料の別な画像を貼って置きます。
● イージおしめの入っていた缶 多分戦前でしょうね? 中身は溶けて固まってました。
● お志めカバーの看板? 戦前でしょうか? 
2024-01-14 13:32   (No.000000052)  
おむネコ さん   
●黄色い腰巻きタイプは巻きおしめカバーです。このタイプは赤ちゃんが股関節脱臼になりやすい
との事で股おむつカバーに取って代わられました。
2024-01-14 13:12   (No.000000051)  
おむネコ さん   
歴史館との事でおしめカバーの歴史画像を貼って見ました。
●黄色い腰巻きタイプは巻きおしめカバーです。このタイプは赤ちゃんが股関節脱臼になりやすい
との事で股おむつカバーに取って代わられました。
● 同じ腰巻タイプでも戦前からあったと思われる生ゴムおしめカバーです。この頃は輸入品?も
あって英国ダンロップ製生ゴムおしめカバーを日本国内でライセンス生産していたのでしょうか?
●おしめカバーのホックボタンになる前はワイシャツのボタンみたいに留めるタイプがあった様です。
この辺がオムネコが持ってる歴代おしめカバーでは古い部類になります。
2024-01-14 13:10   (No.000000050)  
紫の上 さん   
カナメモチ または ゴンズイ という木の実でした。お騒がせしました。
2024-01-12 20:19   (No.000000049)  
紫の上 さん   
この実は何の実でしょうか。
これを知るためにこのページをお借りしました。
写真を拡大して右上に出たマークをクリックすると、ネット上の同じ植物がたくさん出てきます。ここから名称を知ることができます。
2024-01-12 16:16   (No.000000048)  
ViVi さん   
謹賀新年です。
元旦から能登地震、航空機事故と不穏な気配ですね。ここは歴史館ですけど、昨年から新たな歴史を開始した、宇都宮のLRTを元日に撮影したので投稿させていただきます。撮影してから2時間後に能登地震が宇都宮にも及んでました。
2024-01-04 10:15   (No.000000047)  
紫の上 さん   
新年2024年の間違いでした。

羽田の事故は燃え盛る日航機の機体から479名全員が脱出できたことを世界のマスコミが称賛しいるとのことです。
空港封鎖で着陸先を失った飛行機は周辺の飛行場への着陸を模索したようです。ふだんは閑古鳥の泣いている茨城空港へ着陸した飛行機もあったようで、臨時バスを手配し降りた客を近隣のJR駅まで運んだ関東鉄道も褒められています。
2024-01-03 22:31   (No.000000046)  
紫の上 さん   
謹賀新年 2023

るりでは万引き事件あり。元旦には能登半島で大地震あり。
なかなか大変な年明けとなりました。
本年もよろしくお願いいたします。
2024-01-01 23:23   (No.000000045)  
なべ さん   
てすと。
2023-12-31 15:25   (No.000000044)  
紫の上 さん   
長野県中野市で見つけた廃墟の家。
リンゴ栽培が盛んで、この辺から長野市にかけて果樹栽培が盛んで農家は収益をあげているようです。中野市では今年議長の息子が近所の人と警官4名を殺す試験で報道されました。
2023-12-28 14:05   (No.000000043)  
紫の上 さん   
続きです。
石毛城(豊田城)から東方面を見ると。
下に降りて関東地方唯一の山、筑波山のふもとを関東鉄道が走ります。
3枚目は、筑波山とはこんな形の山。
2023-12-24 14:00   (No.000000042)  
紫の上 さん   
るりに行くのと同じくらいの時間で北へ、利根川、鬼怒川を渡れば水海道(みつかいどう)や石毛(いしげ)に行くことができます。今は合併して常総市ですが、こちらは数年前利根川の洪水で有名になりました。
旧石下町をといも良く整備された国道を走っているとお城が目立ちます。近くの国道沿いには、小さなお城もいくつかあります。
40年も前から気になってはいたのですが、旧石下町の町長さんの趣味と誰かが言っていたような。
ついに意を決して行ってきました。今は文化会館、市民センターのような使われ方をしていて、この町の出身である長塚節の銅像とともに、この町の歴史を語ってくれています。
昔は批判されたでしょうが、平成の合併で各地域の特色が失われた今日、かえって地域の歴史をかたってくれています。
天守展望台からの眺めは次回。
2023-12-23 14:59   (No.000000041)  
紫の上 さん   
茨城県で風合いのある廃墟を見つけました。こんなのなら中を直して住んでみたいな。
2023-12-20 12:32   (No.000000040)  
おむまつ さん   
おはようございます。今朝、近所の神社で、落葉のイチョウが山積みに。同じ境内に、寒椿が満開になってました。やっとで冬らしくなりました。もうすぐ、12月もおわるんだけどね。
2023-12-20 10:27   (No.000000039)  
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