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第1話 5才の秋に療育施設に入れられた
生後半年の三種混合生ワクチン接種の副作用で脳性麻痺の障害を負ったため、5才の秋に療育施設に入れられました。部屋は6人部屋で同じぐらい歳の子供たちの幼児部屋でした。3人が昼夜問わずおむつを着けた人で残りの二人も夜間はおむつを着用していました。見知らぬところに入れられたショックと家恋しさで自分もおむつを着けてほしいと思いました。その思いは消えることなく日に日に強くなりました。親がわりの大勢の寮母さんや看護婦さんがいましたが、大半の職員は自分の心の叫びに応えてくれず、最初はお腹が痛いと言ってm看護婦さんとk看護婦さんに頼んでおむつを着けてもらいました。数回繰り返すうちにk看護婦さんがおむつを着けながら、自分に本当はお腹痛くないんやろうと聞いてきたのち周りの子のおむつを着けているのを見たら着けたくなるよなと口に出して着け続けてくれました。以来その二人の看護婦さんは自分が言わなくても、おむつを求めている事が分かってからは、消灯時間になると両手に布おむつ4枚と水色のビニールおむつカバーを持ってきてくれ、さぁ着けようかと言って着けてくれました。着け終わるとお決まりの優しい言葉が、これで朝まで良く眠れるからねと口にして消灯。ふかふかで気持ち良いままぐっすり眠れました。家では取れていたはずのおむつを着けてもらうようになり、優しく包み込んでくれる布おむつは母親の代わりのようであり、それ以上にも感じていました。その時はそこだけにしか癒しを求められなかったのがきっかけで、布おむつとおむつカバー好きな人間になりました。この頃の自分はおむつには尿を出したことがなかったので、朝になってもふかふかで居れました。施設に来てからおむつを着けだしたため、施設も職員も家族には報告できなかったようでした。ある面会日の日に他の家族の人たちの前で母親が自慢げに普通におむつ取れていたと話していましたし、年3回の帰省の時はおむつを着けずに居れていました。
小3の時K看護婦さんが退職してしまいましたし、m看護婦さんは配置換えとなりました。もう癒してくれるおむつを着けてくれる人がいないなぁと思っていましたが、新任の一人のd看護婦さんが自分のところに来て、あなたの事は配置換えになったm看護婦さんから精神的に弱く、おむつをせがむと聞いているから私がおむつを着けてあげるからと言ってくれましたので、ちょっと安心しました。d看護婦さんが自分の事を仲間の人に声をかけてくれs看護婦さんも着けてくれるようになりました。d看護婦さん達は30代前半と若く、話しているうちに今までのm看護婦さんk看護婦さんとの違いが分かった。それは自分からおむつを着けてと言わないといけなくなったことでしたが、みんなに聞かれたくないと思っていました。知られると次の日には学校でからかう人がいるので、おむつを着けてほしいときの合図をそのd看護婦さんに伝えました。そして初の夜勤の時に合図して布おむつを着けてもらいました。このd看護婦さんは着けながらふかふかで気持ちいいやろうというのが癖でした。着け終わると顔を近づけて耳元でおしっこを出してもいいから寝ないねとお腹をポンとタッチしてくれました。別のn看護婦さんは他の子におむつを着けているとき、自分に向かっておむつがウラヤマシイやろうと言ってきて着けてくれるのかと思ったけど、着けてくれなかったのでイラついた。この看護婦さんはその後うちの子になる気ないかと聞いてきました。それからは仲良くなり、おむつの事も分かってくれて着けてもらえるようになり、母親のようにしてくれました。小4のある夜のことですが、おむつを着けてないのに、はじめてお漏らしをしてしまい、別の看護婦さん達から本当に赤ちゃん返りしていると攻められましたが、いつもおむつを着けてくれるd看護婦さんが来て、今はお漏らししてもいいから治るからねと言ってくれました。おむつを忘れるようにd看護婦さんも力を貸してくれて、表向きはおむつを見ても5年ほどおむつを着けずに寝れていましたが、内心は着けたいと思っていました。
高校1年の時、障害の軽度の人たちの建物に移ったことからストレスが増えてきておむつを着けたいと思っていました。一ヶ月ほど過ぎたころ、重度棟におられた20代後半のy看護婦さんが消灯時間を過ぎているのに部屋に布おむつ5枚と大きいサイズの水色のビニールおむつカバーのセットを手に持って今日は着けてあげると来てくれた。着け始めたとき、口では大きくなったから要らない抵抗していたが身体は抵抗せずにおむつを受け入れていたし、忘れていた気持ち良さがよみがえってきて、それは昔より強く布おむつを着けていたいと思うようになりました。このy看護婦さんは自分が精神的に上手く行ってなかったのを分かっていたようで我慢をしなくてもいいと伝えたかったみたいでした。
翌年の初冬、手を折られるなどのいじめによるストレスから腹部の病気を発症して生死をさまよったのち一ヶ月ほど布おむつを着けていたある日のことです。配置転換で6年前にお漏らしとおむつのことを忘れさせてくれたd看護婦さんが自分の居る同じ建物に来てくれました。なんか嬉しさと顔向けできない恥ずかしさとで複雑な気持ちでした。ベッドに横になっていると久しぶりやねと部屋に来てくれて、ベッドサイドに立ち腰をかがめ顔を近づけて、またお世話させてもらうからねと言ってから上布団をめくり、パジャマを着替えようか口にしながらズボンを下げた瞬間あっおむつを着けているやねと残念そうに言うと部屋を出て、替えの布おむつを持って来て、さあ替えようかと言って、おむつ交換してくれながら貴方は小さい頃からおむつ好きでよく着けていたねと言って着け替えてくれた。着け終わり看護婦さんが出て行ってから、自分が病気で学校も休んでいるのも忘れ、優しく上品さを感じる人で憧れの人だったので気持ちが高ぶっていました。その日は一日中お世話になりました。それから一年半病気を繰り返してお世話になりました。
高校卒業と同時に成人施設に入所しました。成人施設に入所している人は一般社会で暮らしていた人達が多くいて、よく怒られていたため、ストレスから持病を再発して布おむつ着けていました。病気が治ってからもストレスからの不安感で布おむつを着け続けていたら一人の女子職員さんが来て、おむつは病気の時だけですと外れました。それでもおむつを忘れられない自分は食事前後の手薄になる時間におむつの置いてあるリネン室に行き、布おむつを触ってストレス解消していました。そんな時、前に居た児童施設から転勤で高1の時に助けてくれたy看護婦さんが来てくれました。そのy看護婦さんにストレスを感じていると言って内緒で布おむつを着けてもらいました。その後もおむつを着けてもらっていました。繰り返しおむつを着けていると楽になり、2年ぐらいしてからは自分の体も動くようになってきて、着替えやトイレも出来るようになりました。22歳の頃から布おむつより、使い捨てで清潔な紙おむつが出てきました。自分で試しに紙おむつを持ち込んで着けてみました。紙おむつなら一人で着けるようになり、隠れてよく床しきトイレで尿とりパット・フラット・紙おむつを重ねて着けていました。この頃から尿をおむつの中にするようになりました。ある日の夕食後、いつものようにトイレで紙おむつを着けようと重ねていると、トイレ掃除に新入りのアルバイトf職員が来て、間切りのカーテン明けて何をしているの?と聞かれたので、おむつを自分で着けていると答えている時に、もう一人教育係のys職員が来て一から説明して理解を得た(病気にならようにおむつを着けてストレスを解消していると言っただけで、赤ちゃん返りのことは言っていない)。後で来たys職員がその場を立ち去る時にfさんに報告はしないで良いから紙おむつを着けてあげてくださいと言ってくれて着けてもらった。その日から二人に頼めるようになって喧嘩もしながらも着けてもらっていた。その6年後から電動車いすでの一人外出が始まり、単独で出かけるとおしっこに困ると一人のボス的なem職員に相談して漏れないように厚めの尿取りパッドとフラットとテープ式紙おむつを着けてもらって成功してからは自分のおむつの使用に否定的な職員の方達も外出時は紙おむつを着けて出かけても怒らなくなり、むしろ職員同行の時も尿器を持たなくて良いことから紙おむつ着用を勧められるようになっていった。そのぐらいからはストレス解消を理解してくれる職員も増え3日に一度は自分で紙おむつを着けて解消していた。35歳過ぎた頃から膀胱にも障害が出てきて昼間でも尿を漏らすようになり医者からクスリを出され3年ほど飲み続けていたが、クスリの量も増えてきて副作用で便が固まりだしたので、クスリを止めておむつを使っていく事にしました。病気なのでもう隠すこと無くおむつを着けるようになりました。少しですが気持ちが楽になりました。今では紙おむつを一日中着けています。